初めての給料で孝行した話を聞くと微妙に痛い

By: Jon Phillips

今になってみれば、きっと多少なりとも孝行するような行動に出るかもしれない。

その原因が、友人らからもたらされる孝行話にあるのか、それとも自分が年齢を重ねたからかは知らない。

ある友人は、家族を招き、初めての給料のほとんどを俗にいうところの美味いものに投入した。

この話が出る度に(別に過去の自慢話として執拗に出現するわけではない)こちらの心は痛む。

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社会人になるまで、アルバイトの類は幾つかした。

ちょっと特殊かもしれないが、身近なもの(俗にいう手伝いのようなもの)から、きちんと企業組織に属した事もある(といっても今考えれば随分ナメてたと思うけれどorz)。

ちなみに、前者にも種類があって、リアルに手伝い的なものから専門性を求められるものもあり、その他には、顔見知りと言えども別の組織に属す必要があるものもあった。

ま、そんな事もあって、継続的にバイトするっていう試みがきちんとした認識であったなら、もしかしたら、本当にもしかしたらだけれど、孝行するという発想になったのかもしれない。

なぜなら、何らかの仕事をする、給金を貰うということをすでに幾度も行なっているから(それも年齢一桁どころかモノゴゴロついた時にはすでに)、その意味では単なる延長でしかなかった。

というのは、きっと、いや、絶対に言い訳。

クソッタレだとしても、そこは一応のところ、親。

その部分では感謝している。

でも、その感謝を表すものとして、給金をどうするっていう発想がなかった。

中二病的に言うなら、”予め教えといてくれYo・・・”ってとこか?

 

でも、こういう話ってのは、これだけじゃないんだよね。

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