自分の穴を求めて、何かの勢いが作用してドメインを取得してしまってから、しばらくが経過した。
そのきっかけのひとつとなったのは、名も知れない男児との出会いだった。
その日、私は何をしてもうまく行かなかった。
そういう日は、確かに何度も経験している。
そんな日もあるのだ。
私はある秋の日の夕暮れに愛犬を連れて、自宅から少し離れた総合運動公園に赴いた。
その公園は大きなもので、数キロに渡るランニングコースもある。
彼女は様々な匂いを嗅いでいて、それはまだ十分ではないようだった。
仕方なしに、彼女の行きたいところに自由に私は連れられていった。
私は寒いと思いながらも、彼女を唯一の一眼レフで何枚も何枚も撮影した。
一度公園に赴けば、余裕で100毎を超える撮影をする。
様々な装備をして犬を撮影しまくっているのだから、どうみても怪しい人だ。
こういうとき、だいたい良くないことがあといくつか起きるものだ。
悪意に満ちた職質か、それとも毛嫌いする類の連中に出くわすか。
そんなこんな想いを抱きながら歩いていると、男児が突然に脱帽し、元気よく言った。
「こんにちはー!」
あまりの元気の良さと、それから自分に挨拶が向けられている事にさえ気が付かず、ポカーンとしてしまった。
たったそれだけだ。
たったそれだけのことが、私を救った。
自分が様々に経験して、それからちょうど良くない日だったこともあって、いろいろと滅入っていたところに、彼は救いの手を差し伸べた。
至極当然のことかもしれない。
以前は。でも今は違う。
だからこそ、気持ちが良かった。
本当に嬉しかった。
松下幸之助の妻は言ったそうだ。
「挨拶いうのは、私はあなたの敵やないいう意味があるんや」
正しい挨拶や正しいお辞儀をできるひとはどれだけ居るだろうか。
正しいお辞儀や礼をすると、完全に顔は地面を見つめる。
決して前方を見ないし、見えない。
だから、相手の行動がまったく見えなくなる。
相手の行動が見えなければ、とっさの時、防御体制に入ることができない。
犬で言えば、服従の体勢と全く同じだ。
だからこそ、正しい挨拶は意味を持つ。
「頭を下げる」ことにも確かに意味があるけれど、まったくの無防備な状態を相手に見せることは、敵ではないことを如実にあらわしている。
彼の挨拶は、飛んで喜ぶほどの感動を私に与えた。
諦めることで何とか受け入れることの出来る現世に希望を与えた。
”捨てたもんじゃない”
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