理系と文系といえば、「きのこたけのこ戦争」よろしく常に戦っている戦線のひとつかもしれない。徹底的に理系は文系を見下し、文系は理系を見下しているからね。
先日、ラジオをきいていると興味深い視点で文系と理系について語られていた。
出演していたのは女性で、もともと理系であったけれど、理由あってガチガチの文系の仕事に就いていた。が、機は熟して、いよいよ理系に戻った時、気がついたことがあるという。
こういう気が付きというのは、私も経験がある。
知らぬうちに統計的な作業を脳内で行うなどするようで、日々のそれぞれの点が、あるとき線となって何らかの意味を持ってくるのに似ていて、一見、全く関連性のない話題についてとにかく情報を集めているうちに、面白いことに気づき、それを否定しようという視点に立って見つめなおすと、否定できないことに気がつく。
それをもって、自分の中の新たな何かが確立する瞬間でもある。
さて、彼女は、ガチガチの文系、ガチガチの理系、それぞれを期間を前後して身を置いていたわけだけど、「文系は嘘つき」という興味深い結論に達していた。
彼女が言うには、文系はプロセスや結果に感情を伴うのに対して、理系は、プロセスが細かく「説明」されるから、何故そのような結果になるのかがわかりやすく、感情などに左右されてブレることはないという。
ここで言う「説明」は、レクチャーやティーチの意味より、海外ドラマなどで縺れたり誤解されたりした状態を解決しようとして「説明できる!」という表現に近いものだと思う。一方的な解説より、何故そのような結果に至ったか、あるいはそれが誤解であることを納得いくカタチで解説できるというような。
賛成反対を述べることは、隅に置くとして、「理系をお遣いに出すには」という理系を揶揄する例えがあるけれど、当てはめてみるとなかなか合点がいく。
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